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unknown > 【斎藤Site】
さいとうさいと ページ作者 自己紹介

99/04/24作成
99/05/18更新
99/08/12更新
00/05/12何気なく更新
00/09/10何気なく更新
01/05/17こっそり更新
02/02/20 なんでまた?更新。
02/07/10 台風なので、更新。
04/09/30 退職したので、更新。

「サイトウサイト」の趣旨は?

サイトウサイトは1999年に立ち上げた個人ウェブサイトです。 趣旨は、世の中に散乱する技術情報を、参加する人たちと共有し、技術ノウハウを軸に参加者みんなで楽しむことです。

製作動機は、他サイトの素晴らしいコンテンツに感銘をうけて自分もやってみたいと思ったため。また、1999年当時、ジャンク系情報を総合的に取り扱うウェブサイトが存在せず不満に思い、自分が欲しいため作ったのが最初の動機です。日常的に「使える」ウェブサイトをめざしています。

当サイトは積極的に宣伝していませんが、検索エンジンなどを辿って自然と集まっていただいています。(リンクを張っていただくことは大歓迎です)

こんなコーナーが欲しい、ココを改善して欲しい、など要望がございましたら、どしどしご感想をお送りください。

誰? 氏名は、ご想像にお任せします。。。。ってバレてるじゃん。

オマエ何歳だ!一体何モンだ!?というメールをたまに頂くので、写真を特別公開。

左は私、右は巨大掲示板「2ちゃんねる」の管理人、ひろゆき氏。

写真は、2ch誕生2周年記念前後の焼き肉パーティーにて。

年齢

ひろゆき氏と同い年である。
居住地 生まれたときからずっと東京です。
趣味と性格 ページを見ていただければだいたいお解かりでしょうが、

1つのモノにとことんこだわる。
改造。修理。チューニング。
買った商品を、意味もなく分解。
すべての工業製品は、一度中身を見ないと気がすまない。
使っている物の動作原理を理解しないと気がすまない。
苦労を惜しまない。(その結果、時間を大量に無駄にする)
モノを捨てることが嫌いだが、部屋という限りあるリソースを無駄にしていることはなかなか気づかない。
見切りを付けた場合のあきらめ・見捨てが非常に速い。
近況

近況っツーか、去年(2001年)は、こんなものをやってました。

2ch

まぁ言ってみれば2chの裏方みたいな感じです。

担当としては、映像関連の機材操作、2chイベントの収録、動画エンコード、写真撮影、、などなどをテキトーなテンションでテキトーにこなしてました。新宿CODEの2周年イベントなんかでオープニング出しなぞ。最近の2chといえば裁判の処理が大変で、当時の裏方の人たちもメインの仕事が忙しかったりであまり積極的な活動はしていない模様。
活動当時は、東京・渋谷の「東京フォート」や「神宮前org」の2カ所で、さまざまな怪しいイベントを行っていました。ひろゆき(当時、「クローンCD」で有名なプロジーに在籍)をはじめとし、切込隊長(山本一郎氏)、雑誌の編集長、ひろゆきの追っかけ(わらい)、モデル、俳優、宮台真司先生や、政治家の加藤紘一さんなども顔を出す、異次元な空間でした。
ちなみに私は「加藤紘一と行こう!イベント」のビデオカメラ収録と動画エンコード(WMV)を担当し、後の2次会で紘一さんと一緒の席のテーブルでビールを飲んだりしました。あ、当然あやしい会合ですので加藤さんの周りにはマネージャ/ガードマンの方が常駐。

以下、参加後の加藤さんの2ch書き込みの引用

88 名前: 加藤紘一 ★ 投稿日: 2001/07/12(木) 01:51 ID:???
昨夜、神宮前.org(ひろゆき・山本一郎氏)主催の対話集会に招かれて行って来ま した。なかなか面白かったです。5分前までの打ち合わせでは、私が冒頭15分ぐらい政治家らしく演説することになっていた!しかし、いざ本番の会場に入ったらひろゆき氏が突然変更。 私への質問を連発。私もそれに答える形でスタートしたので、まとまった メッセージ・主張に欠けたかもしれません。けれども、かえってその方が退屈しなかったのでは。それに16〜7人の参加者と討論できたのでよかったと思います。 「2チャンネル」については、いろいろ評価もあると思いますが、少なくとも昨日の 会場の印象は真面目な人々の集いと思いました。私は、相変わらず『地味なカタブツ』で『ネクタイも派手さに欠けた』と思います。しかし、仕方ありませんね。人生 62年、このスタイルで通して来ましたから。重ねて、昨日は、楽しく過ごさせて頂きました。

まとめると「面白い人の集まり場」でしょうか。 規模が大きくなれば、当然そこでは自然と役割分担が出来ます。自分は主にテクニカルな部分を主に担当しました。各分野に精通したコーディネータが多数揃っていますので、このメンバが集まれば、なんでもやれるような気がします。

 

仕事

仕事の近況は、、まぁ パソコン周辺機器業界の特定ジャンル向けで、マニアックな製品をボチボチと作ってます。けどそれは会社に属している作業なのと、作業自体がラットレースなので辞めました。

何を作っているかは、日記を丹念に見ていただければわかるかと思います。おそらく、このサイトに常駐している方の部屋には存在確率が高いはず。売れるものあれど、失敗した(と思われる)モデルもあれど、感謝のメール98パーセント、「改善せいや!!」メール2パーセントって割合かな。えぇ、もちろん感想はすべて拝見してます。自分的にはこの感謝/要望の比率は、妥当かな、と。

しかし出来上がる製品に対して自分自身が100%満足したことは一度もなく、自分の知識不足と慢性的なマンパワー不足でイライラします。日々、勉強の毎日。

まぁおかげさまで製品に対する評判は上々です。皆さんの手元にも私の手がけた作品が何個かあるかと思います。。自分で考えたものを自分で設計し、部品を調達し、製造し、販売し、世間から評判を受ける。仕事内容的には自分の脳内企画のセンスがすべてを左右するってことで、はっきりいってつらいときは死にたくなる。だけど、それを超えて成し遂げた後は、何事にも代えられない快感が湧き出てきます。

仕事はイヤイヤやっていては絶対にいい成果は生まれない。仕事は楽しくなければいけません(断言)。そこのアナタ、会社の方向性が合わないくて不満があるのなら、さっさと転職し、自分の能力に加速がついたら会社を興しましょう。時間は有限なのだ。

生活

日々の生活において、かなり忘れ癖が絶えません。頭が疲れています。

執筆

こういう本の一部の記事を書いてます。ぜんぶじゃないです。一部です。

世間ではテクニカルライターと呼びます。出版関係の人でこのページを見た人、仕事ください。

これは、ビデオキャプチャの評価インプレッションとか。

あまりの寝不足に、血尿出るかと思った。

新しい機材に触れることが出来て面白かったです。

 

インスタントメッセンジャー・音声チャットとか。

VoIPの原理とか。自宅の環境がケーブルテレビ回線なので、いろいろと大変でした。

 

マシーンクレイジー。

はい、キルタイムです。まぁ、ホームページそのものって感じです。

 

 

紹介されたぞ!

えへへ、気分は

売れないラーメン屋が、いつまでも自慢げに店内に掲示している
東京ウォーカー」の1ページ

みたいだね。

メディアで紹介してくれるのは当事者としては嬉しいです。

数年前に紹介された東京ウォーカーを、油ギトギトになるまで掲示し続けるラーメン屋の店長の気持ちが、ちょびっとだけわかりました。

つーわけで、どんどん掲載してくらはい>各メディア担当者殿

掲載してくれたら、必ずトップページで晒しageしますんで、費用ゼロのお得な宣伝になりますよ。。と都合の良いことを書いてみるテスト。

AIムック出版「ジャンクの花園」のリンク集にて斎藤Siteが紹介されました。vikingの修復や、ジャンク屋の仕入れの背景などを含めて詳しく書かれていますので、ぜひご一読を!

私のページに訪れるような方にとっては、けっこうタメになる内容が多いので今後のジャンク屋巡りや、不動品を掴まされないような、うまい購入判断のためにもオススメです。

 

 

ニフティSUPER Internet2000年4月号

へ掲載されました。

はじめてのカラーページで紹介された。嬉しいね。

トップページのデザインをたまたま換えといてよかった。

ウチのサイトが、ある占い師さんのおすすめページらしいです。

う〜ん、けっこう幅広い読者層を持っているんだなぁ、と認識させられた。

 

 

また紹介されたぞ!

2000年7月

WWWイエローページ Vol9


カテゴリ:ハードウェア

これは、驚きました。

だって、単なる膨大なリンク集かと思いきや、いや確かにリンク集なんですが、となりのページを見てビックリ! ジャストシステムやらAPPLE、IBM、松下などの大御所ばっかりじゃないか!

つまり、PCメーカーといえばIBM NEC アップル ソニー。

で、ハードウェアの改造サイトといえば、紹介された6つのうち1つが斎藤Site っというわけなんですよアニキ!!!!!。

しかし、自分のサイトが選ばれるほどスゲぇネタなんかあったかねぇと、ひとりで本屋で考え込んでしまいました。

ちなみにこの本では、普段自分が全然いかないようなサイト(医療、美容とか)もいろいろ掲載されているので、アクセスしなくとも見ているだけでなかなか楽しめました。

献本が遅かったので、自腹で買ってしまったぞ。。。ぐへ。

 

 

2000年7月末

ゲームラボ 2000年8月号

自作のススメ というページを担当。

あ、これは紹介じゃなくて、編集部さんの依頼により、6ページ分 執筆させていただきました。

友達には「すげぇなぁ〜」と言われ、うちの家族にも喜ばれ、自己満足も得られ、出版業界の勉強にもなりました。

またやってみたいです。と書いたら、いつのまにか準レギュラーくらいのレベルで仕事をこなすようになっていました。

 

 2001/03/04

宝島社「PC-POWER」
 ハードディスク完全増設

お役立ちリンク集にカラーで紹介してもらいました。

 

2001/05/17

ソフトバンク社 「PCJapan」

 189Page
「パソコンから暮らしの情報まで、知ってトクする裏技サイト」
  へ紹介されました。。
  う〜ん、どうやら当ページは、裏技サイトらしいです。

 

 

このホームページ製作上のコンセプト

ページを見る側の使い勝手を考えて、

改造記事などの画像は、その行程をわかりやすくするために出来るだけ多く設置する、
プアなマシン援助のため、派手なアニメーションGIFは出来るだけ少なく設置する
既存の情報とダブっては意味がない。既に検索ページに引っかかるようなコンテンツは控える

ということに重点を置いています(つもりです)。

 

みゅーじっく

昔聴いてた物&最近の主なおすすめ音楽

最近は音楽でいやされる時間が欲しいところですが、結構(かなり!?)マイナーな曲が好きだったりします。

広く浅く聴くよりも、とことんマイナーな1曲を研究する派です。

Y.M.O. あの 坂本龍一・高橋幸広・細野晴臣 率いるイエローマジックオーケストラです。やはりテクノの王道、最高です、永遠に不滅です。しかし復活後のテクノドンはあまり好きではないです(深く聴いてないだけかも)。出たアルバムは、全て所有しています。OMYやヒューマンリーグなどの他人の手がけたリミックスも所有。ツインベストという2枚組限定盤もありますが聴きすぎてCDにいっぱい傷が付いています(ただ単に手荒と言う噂も)。ちなみに一番好きなアルバムは「BGM」そのつぎは「テクノデリック」。初代アルバム(日本語版よりも海外リリース版の方がすき)のTONG-POO〜LA FEMME CHINOISE〜マッドピエロや、アルバム「テクノデリック」のLIGHT IN DARKNESSとプロローグ〜エピローグなんか、なんともいえない物語を彷彿とさせる順番で、聞いただけで涙が出ます。
坂本 龍一 教授。YMOからの流れですね。聴けば聴くほどマジで落ち着きます。
初期の頃の作品を特にお勧めします。あと平衡して、教授プロデュースの「中谷美紀」とかネ。
TMネットワーク 中学、高校時代、アホのように聞いていました。これもほぼ全てのアルバムを持っています。
一番好きなのは・・・SELF−CONTROLかな? 作業中のBGMとしては、EXPOとか最適です。生まれた年代からわかるとおり小室ファミリー全般が好きかも。

 

 

***ゲームにハマる***
(ハマっていた)

当時大流行。テトリス。

難易度設定は最低から最高まで全てOK。
ヤリすぎて、ゲーム中に撮影できるほど余裕になります。

いま現在は、ゲームをする時間がなくなったことと、ほかに楽しいことが沢山あるのでめったにやりません。携帯電話のゲームも、実験で起動した以降は遊びません。が、消防・厨房・工房当時は学校でトランプ、ウノ、家でファミコン、パソコン、外でゲームセンターとファミコンショップとゲーム三昧の日々を送っていました。今ゲームに拒絶反応を示すのは、子供の頃にゲームをやりすぎて、完全に飽きたからと推測します。当時は「大人になってもこんなに面白いゲームをやり続けるんだろうか・・・」と心配でしたが、自然にゲームは飽きて、最近は拒絶反応を示す位です。

その費やした時間は、最低でも一日3時間。うちの両親の方針は「本人のとる行動はすべて自己責任で行い、悪いことは自分に跳ね返るのでそのつもりで。」という思想です。何時間ゲームをやっていても注意されないわけです。すると当然子供なのでサルのように遊びます。学校の勉強なんて、家ではまるでやらなかった(家では勉強時間は完全にゼロ)ので、いままでマグレで上位だった成績はたちまち低下し、気づけば成績は下から数えた方が早いほどのお馬鹿さんになりました。基礎学力のなさは今現在も引きずってますが、悪いのは俺。当時、勉強よりもゲームが楽しかったので、楽しい方を取った自分の責任です。 振り返ると、小学生の頃からゲーセンのオッサンに覚えられるほどゲーセンに入り浸ったりしました。当時は東京は大井町線・奥沢駅のすぐ近くにある「太平洋」や「十円玉天国」という店を我が庭にしてました。 両者とも、いまは無いので残念です。魅力は、大きなゲーセンなのに、最新ゲームを30円、古いゲームは10円・20円、メダルは1枚10円という格安料金です。ガキんちょ相手では経営が苦しくなってしまったのでしょう。


このゲーム三昧の生活を今振り返ると、うちの両親の教育方針のおかげで自由な行動が出来たのは事実ですので、感謝しています。仮にも自分に子供が出来た際には同じようなやり方を遂行すると思います。その際にはもちろん、成長にプラスになる要素を加味して。 それが人生にとってプラスになるかマイナスになるかは、いま自分自身の身で実験している最中です。自分が死ぬときに、この教育が正しかったのか、そうでなかったのかがわかるでしょう。




以下、コテコテのパソコンフリークと呼ばれる人たちが、当時のどこに着眼点を置き、どのように行動し、最終的には結局無駄遣いをしているのかということに気づいていないという1事例のサンプルを示すドキュメント。とくとご覧あれ。

ぱそこん履歴書

83年頃 NEC PC−6001Mk2

思えばこれが全ての始まりだった・・・

親父が何気なく買ってきた物を使っていました。自分はまだ小学生だったので、とくにパソコンを使って「何かをやりたい」というのはなかったのですが、やったことといえば説明書に書いてあるサンプルプログラムをせっせと打ち込んだりしていました。スイカを少しずつ食べていくシーンが画面に出て、CIRCLE命令でちょっとずつかじってだんだん減っていき、最後に

「ゲプ。あ〜うまかった」

なんて喋る馬鹿なサンプルプログラムもあり、笑えました。もちろんプログラムがどのような仕組みで動いているのかなどは解りませんでした。サンプルプログラムを入力して正常に動作したのを確認して楽しむ。それだけでした。

この時期のパソコンは、DOSなどの概念がないため、ソフトを一切入れなくても電源を入れるだけで単独で楽しめるのが特徴です。もちろんフロッピーディスクなんて言う超高級品はないのでカセットテープで保存。保存するのに平均で2,3分はかかります。ゲームなど長いプログラムだと30分とか待たされます。そしてそれを読み込んで27分くらい経つと、「OM−ERROR」や「TR−ERROR」とか出やがる。OM−ERRORとは、Out of memoryの略で、簡単に言えばプログラムをロードするメモリをどの程度割り当てるかの指定をしないとこのような悲劇になります。「TR−ERROR」はTapeReadErrorで、テープの内容が正常に読めなかったときに出るメッセージ。どちらの場合もその27分は無駄に終わります。途中からレジュームなんていう、インテリな機能は皆無です。

このカセットデッキ(データレコーダー)がかなりのくせ者で、すぐにモーターが過負荷になり、どの操作をしてもウンともスンとも言わなくなる症状が相次ぎ、本当にイライラしました。たしかNECのDR−320とか言う茶色いやつだったと思います。

このマシンのすごいところは、BASIC言語でスピーカーから言葉を喋ることです。現在の最新のPCでもハードウェアだけで即席で喋らせることは不可能ですから、この機能は感動的でした。

10 TALK”KOXNITIWA”

と入力すると、「こんにちは」ときちんと喋ってくれます。なぜか「ん」は「X」だったような気がします。

その後はPC8801MK2を買うために、親父が中古屋に売却したような気がします。

84年頃 NEC PC−8801mk2(モデル30 FDD2機搭載モデル)

当時はあまりパソコンに興味がなかったので、「なんか知らないが、キーボードの分離した新しいパソコンが来たぞ」程度の認識しかしませんでした。まぁ兄弟が使っているから自分も使ってみようかなっていう程度です。これが設置されてからしばらくして6001mk2が家から無くなってしまったので、仕方なく使います。よいところは、5インチフロッピーディスクドライブが2台付いていたこと。これでカセットテープのエラーから解放されます。しかも、超速い!!(テープに比べてですが)。実際の速度は、現在の2HDフロッピーの4分の1程度のスピードなのでいまの時代では使ってられません。それでも当時は爆速の世界でした。プログラムの保存をするときに、いままで3分かかっていた物が、なんと5秒で終わります。これは驚異的です。ちなみにフロッピーディスクは、2HDではなく2Dなので320KBしか容量がありません。当時、マクセルの物が2枚組みで2000円程度でした。いまならフロッピー100枚って所ですか。安くなったものです。

しかし6001mk2にはあったTALK文が使えなく(いま考えたら当たり前だ)、喋らないパソコンなんてつまんないやーとなってしまい、あまり触ることはありませんでした。しかも音を鳴らすこと自体もかなり面倒で、たしかビープ音の音程を変えることにより1音のみ発音できる「CMD SONG」とかいうコマンドを使ったと記憶しています。しかもこのコマンドは標準で搭載されているわけではなく、拡張コマンドとしていちいちメモリ上にロードしなければならないキワモノでした。

で、購入してから4ヶ月くらいで「PC−8801mk2SR」という、PC8801界でその後のデファクト・スタンダードともいうべき強烈な機種が出てしまい、困りました。こいつはFM音源を搭載し、最大で512色を表示できる物でした(ただし同時発色は8色)

大塚商会から「新機種は当分出ませんよ」と言われて8801mk2を購入したはずなのに、この有様。親父は激怒し、大塚商会に渇を入れて交換して貰うことに。いまのPC業界のような陳腐化の激しい時代では、新機種が出たから交換なんて非常識も良いところで、こんなことは絶対にあってはならない行動ですが当時は新機種サイクルが長かったので無事に交換してくれました。しかしmk2のマニュアルや付属FDなどの付属品は全て家にあるままだし、大塚商会としては、かなり迷惑だったんじゃないかと思います。そんな大人のやりとりのことは、当時小学生だった自分は知ったことではないのでお構いなしって所です。また、それが経営者であるうちの「親父」の度胸の発揮どころでもあります。

84年頃 NEC PC−8801mk2 SR(モデル30 FDD2機搭載モデル)

ついにSRとなりました。これは、かなり使い込みました。パソコンは数多く触りましたが、この機種だけは別格です。間違いなく、今の私の生き方の基盤を構築してくれた貴重なマシンと言えます。とはいっても最初はゲームばっかりでしたが。

主にハマったゲームは、The Castle、テグザー(間違いなく1000回以上起動しているはず、プログラマの五代響さんGAPPAさん凄いね)、ザナドゥ(シナリオ2含む)、ソーサリアン、シルフィード、ファイヤーホーク・・・etc。

さて、普通のゲームに飽きると、こんどはゲームの改造などに目を向けます。ファミコンではアイ・ツーのトンカチエディター、パソコンでは逆アセンブル。 テグザーを筆頭として「隠れ面はないか」など、バイナリ形式で読み込んで逆アセンブルし、解析してみたりしました。そんなことをしているうちにテグザーというゲームの駆動には「S-DOS」というOSに乗っかっている事実を自分で発見し、そのOSでデバッグ操作をしているうちにT1、T2、T3というファイル名のプログラムにそれぞれ全体構造、自動照準、敵データのアルゴリズムが入っていたことを発見し、それを独自に調査して、しまいにゃ海の物とも山の物ともわからないOSのコマンドライン操作マニュアルまで勝手に作ってしまいました。もちろん周りのみんなは誰もわからんしパソコン自体が普及していないので自分専用です。 今振り返るとなんちゅーバイタリティだったんだろうかと、当時の自分にあきれますし、そのバイタリティーを、いま欲しいと真剣に思います。

ところで、解析をするって言ってもマシン語の書籍を見てもアセンブル言語がイマイチ解らなかったんですよね(なにしろ小学生ですから漢字すら読めない)。あまり突っ込んだ改造は出来ませんでした。出来たことと言えば、簡単なコピープロテクト外しと、敵の強さを変更する、意図していない部分でそのステージで出ないはずの敵を出現させるようにプログラムコードやデータを改竄して強敵を増やして楽しむ、自分の武器の持ち数を増やす・・・などかな。
いじっているうちはかなり面白く、他人のプログラムをいじることによるノウハウの習得と楽しさを味わいました。しかし、他人の制作物の解析ってのは概して時間かかることで、本来であればアセンブリ言語を1から習うべきでした。したがって、苦労の割にはあまり統計的なノウハウのたまらない時間を費やしてしまいました。この芸当は、いま世間で流行の「改造コードの探索」や「セーブデータいじり」などのジャンルにつながっているのではないかと考えられます。

88年頃 NEC PC−98DO(98側:V30−10MHz 88側:Z80−8MHz)

PC−8801MK2SRに限界を感じ、使いすぎたドライブ2のFDDの調子も悪くなってきた。あと、電源を入れても起動しなくなってしまったこともあり(一応リセットボタンを押せば起動します)、残りの命は短いと判断し新機種を購入することを決意。これは親が買ってくれた最後のパソコンです。買ってくれたとはいっても、ねだって買って貰ったのではなく(うちの兄弟は、親にねだるという行為をあまりしないのが通例)、単に親父が新しい物好きなので「98と88が合体した物が出たぞ」なんて話をしているうちに、子供同士で「家でも会社にある98のデータが読めて仕事が出来るよ」などと適当に都合の良いことを言い、またしてもいつのまにか購入してしまったようで家に置いてありました。

基本的に、うちの父親は他人に何かを相談することが大嫌いです。自分がよいと思った物は、即決で購入するようです。 他人に「あっちのほうがいいよ」なんて言われても、全く聞く耳を持ちません。これは、うちの親父が中小企業の経営者であるがゆえの行動とも言えます。家族はてんで迷惑ですけど。自分も経営者になった暁には、このガンコな思想を取り入れつつ、人の意見を聞き、社員を快適に動かせるような柔軟性を持つ脳を持っておきたいと考えています。出来るかどうか知らんけど。

そんなこんなで9801をいじる環境を自宅で入手することに成功。8801SRは従兄弟にあげました。

98DOは、簡単に言ってしまうとPC8801MHとPC9801VM21の2機種を合体させたような物です。特別、この機種だけ存在するような特殊機能はありません。98と88の同時起動もできません。Cバススロットは、FDDが横に2つ付いているせいもあって1本しかないです。以上のようなスペック上の制限もあってさんざん雑誌で馬鹿にされていました。雑誌の評価はさんざんだけど、しかし冷静になってよく考えてみると、モニターが1つしかないのに全く違うアーキテクチャの2つのPCを同時に起動する意味があるのだろうか・・・無いぞ。言うならば全く同じソフトが発売されていて、全く同じ作業の出来るマックとATを1台にまとめて同時に使いこなす意味があるのか。無いよなぁ。Cバスだって、当時は増設メモリかSCSIカード程度しか増設しないから、1個あれば排他的とはいえ、そこそこ使えるし。
おそらく、このライターは、たとえば98-88間のデータの移管作業をこなすとか、メモリブリッジ的な受け渡しバスを設けるべきだ、みたいな論調だったのでしょう。なにはともあれ、雑誌のライターの書いた思想と、私の思想が異なっているだけという結論に達し、雑誌のランキングは全く当てになら無いことに気づきました。ということで、世間ではさんざんコケにされている98DOという駄目駄目な機種を買ったわけですが、使ってみるとかなり素直なマシンで、デザインも良く、速攻で98と88をスイッチ1つで切り替えることが出来て便利、そのうえ動作音も静かでかなり気に入りました。

ここからは88を卒業し、98をメインにいじるようになります。まず、テキスト文字が恐ろしいほどキレイ!!!88とは全然違います。あとグラフィック性能が非常に強力。640*400で4096色中16色も出せる。なんていう色数の多さだ。メモリが多すぎて(基本的に88は64KB(増設時192KBだが通常は使えない)、98は640KB。)その差10倍!どのように使って良いのか迷ってしまう。バンク切り替えせずにすぐにメモリが覗ける。セグメントを変えるだけでGVRAMがすぐにいじれる。CPU速度が速すぎて、いままでBASICで出来る限り速く動くように最適化していた作業が、そんな苦労をお構いなしに、なんのことなくパパっと使えてしまう。自作したゲームはウェイトを入れないと速すぎて使い物にならない。うーーむ、おそろしいな98というのは。こんなに速い物だったのか。16ビットおそるべし。8ビットは使いにくくて遅いということを改めて認識。素直に感動しました。

ちなみに98DOのDOとは、Dual Operation Version という意味です。

89年頃 NEC PC−98DO+(98側:V33A−16MHz 88側:Z80−8MHz)

出てしまいましたよ。新機種が。型番だけ見るとプラスが付くだけですが、中身は全然違います。このころになると、新機種の出るサイクルがだんだん速くなってきました。CDROMなんていう未来の媒体が雑誌や新聞でも騒がれ、

「時代はマルチメディア」

なんていう恥ずかしい言葉が大流行でした。宮沢りえを起用した富士通の失敗作FM−TOWNSの宣伝CMは毎日見させられ、けっこう斬新的な機能を満載したPCが次々を発売され、雑誌をカタログ代わりに眺めるのも楽しい時期でした。32ビットCPUであるインテル386DXも出ました。98でははじめての32ビットCPUを搭載したPC98XL^2(エックスエル・ダブル)も出ました。えらいこっちゃ。たしか価格は100万円程度でした。

まぁ新機種が出たからと言ってもパソコンは高いのですぐに買えません。しかし98DO+の発売日から6ヶ月ほどしたある日曜日、いつものように休日に大量に来る広告をなにげなく兄貴が眺めていると、渋谷のJ&Pにて「PC−98DO+ 展示品処分98,000円!」という、破格品を発見。午前中にJ&Pに在庫の確認をしてみると、おぉ!!あるじゃん!!!!店員に名前を告げてキープして貰い、さっそく購入。そして持って帰り、動作確認。おっけー。
展示品でも付属品はあるし全然綺麗です。よし、これで当分のパソコン環境はバッチリだ。手元にあるのは2台のマイナーな98DOシリーズ、世間で2コイチと呼ばれ失敗作扱いされている98DOシリーズ、98DOで失敗したうえに恥の上塗りといわれたDO+、さらには展示品処分でカラーでチラシに載っても誰も見向きもしないDO+、ダイヤモンドの輝きを秘めているが世間では石炭にしか見えていない「DOシリーズ」の2機種が現在、俺の目の前にある。まじでマンセー。

さて、ここで古い98DOをどうするかという問題がある。サブマシンなんて言う贅沢な考えは全くない時代なので、売却を考えます。当時は優良店であったソフマップへTEL。「98DO 箱などすべてあるのですがいくらで買い取ってくれますか?」 「上限で8万2000円です」よし。さっそくアキバへGO!。2人とも年齢の関係で車の免許を持っていなかったので電車でえっさえっさと代わり番こで運びました。重かったです。つーか郵送しろよ、という頭は当時は存在しなかった。キレイに使っていたせいもあって、無事に上限金額である82000円で買い取ってくれました。素晴らしい、なんという優良店なんだ(当時はね。今はどーなんでしょーかね)。

というわけで、たったの2万円程度でV30(10MHz)がV33A(16MHz)へ、サウンドカードもYM2203からYM2608へ。ステレオ音源へ強化されたうえにリズム音源・ADPCMも使える。外付けFDD端子があるので、親の会社で無印98を購入・廃棄したときに余った8インチFDDをようやく接続できて4ドライブ構成にできる。願ったり叶ったりです。

相変わらずCバススロットは1本だけですが、なんとデスクトップパソコンなのにノートパソコン用の拡張メモリーカードが刺せるスロットが付いています。うーむ。98DO+、どこまで変態的な仕様なんだ。俺は本気で惚れたぜ。ここに9801NS/Eなどのメモリーカードを刺せば拡張メモリとして使用が可能ですので、兄貴と相談してのちほど4メガバイトのEMSメモリカードを購入しました。なぜか起動時にメモリカウントをしないにも関わらずきちんとプロテクトメモリとして使用できたので、起動も速いしメモリも使えるし、大満足しました。主にディスクキャッシュとプリンタスプーラで使っていました。あとは98DOでの動作保証をされているSCSIハードディスク(緑電子 DOODA!200)を買いました。98DOを動作保証しているメーカーは数少なく貴重。現に知人から借りたHDD(ICM SR80)は動作しませんでした。200メガバイトで8万5000円程度でした。いまなら何GBのHDDが買えますか?

92年頃 NEC PC−9801BX/U2486SX−20 メモリ1.6M

IBMが「MCAバス=マイクロチャネル」のライセンス込みの普及に悪戦苦闘しているけど価格の折り合いがつかず、ついには誰もIBMに見向きもしなくなった時代背景の中、アメリカのコンパックというニッチ会社が「デスクプロ386」というクソマシンを大量に日本にバラ撒きました。 その火に油を注ぐかのごとく、富士通が動きを示す。大事に育てていたFM-TOWNSを見事に捨ててFMVシリーズを投下し、ろくに評価もしないままハナクソにも満たない設計レベルの輸入マザーボードを採用したスーパー糞マシーン「FMVデスクパワー」を大々的に宣伝させます。高倉健をCMに起用したことから、当然日本のおじさま達に売れます。 FMVの功績により、日本では「このパーツが動かないのは本体との相性だからしょうがないねぇ〜」という言い訳が定着しました。

さて、それらの俊敏な躍動感ある功績のおかげで、NEC天下のパソコン鎖国の日本市場価格が一気に崩壊しました。CPU速度が1世代前の機種よりも上がっているにもかかわらず1機種前の半値以下、前代未聞の格安!!!たしかBX/U2は10万円程度で買えたと思います。9801FA(定価45万円)の時代の価格設定とは全く異なっています。これは買うっきゃないと言う市場の煽りに見事に乗せられ購入。 ソフマップで購入したものの、初期不良でCバスのカードを全く認識してくれず悪戦苦闘・・・MIDIは動くがSCSIが動かず。 結局クリニックセンターまでえっさえっさと運んで無事に交換し復帰を確認。とほほ。

このモデルは「ファイルスロット」がありません。しかし、そんな物は外付けにしてしまえば良いんです。サウンドとファイルスロットが無くなって定価が20万円も安くなれば、こっちとしては大歓迎です。Cバスは3本でしたが、9801RXから取り外したCバススロットを無理矢理差し込んで4本仕様に、いきなり改造。


【ハードディスクも、フツーに買いませんってば。】
このモデルを境に、NECのPC9801シリーズは、搭載ハードディスクの販売ベクトルを変えます。いままでのSCSI外付けハードディスクの時代に終止符を打ち、内蔵IDEハードディスクへと仕様を変更します。 で、フツーの人ならばNECやサードパーティの製品を買うんですが、そこは昔も今もサイトウサイト、IDEってのはAT互換機でかなり昔から使ってる仕様なわけです。

じゃぁAT互換機で使ってるHDDは使えるのかいな、と調べてみたら使えることが判明。ハイ即断。知り合いのAT互換機ショップにて540MBのHDD(WesternDigitalキャビアWDAC2540)を6万5千円で購入。ちなみに当時の日本市場では540MBは最高レベルの容量で高級な部類になっており、11万円が相場でした。しかも、そこに搭載されているドライブは、購入したモノと全く同じ「キャビアWDAC2540」。アハハーー日本人て、同じ製品に高い金だして、保証期限もウエデジの告知よりも短くされて、大変なのねぇと自分に酔いながら笑いころげました。 当然、純正品ではないので取り付けマウンタがありません。そこで金具も自作して適当に固定して、東急ハンズでセルボセイン樹脂を買って静音化を実現させ、結果的に純正品の金具よりも素晴らしいパフォーマンスを発揮しました。 マウンターの材料費2000円なり。これは性能も価格も、その後の経過も大満足でした。

さて、パソコンそのものの使用感は、さすがは486マシン、快適そのものです。



楽譜入力にハマル

この頃は楽譜の入力をしてパソコンで好きな音楽を演奏することをマイブームとしていました。YMOなんかの効果音を9801-86ボードでPCMとして取り込んでADPCM化し、バシバシ当て込んで勝手なリミックスを作ったりしてました。ちなみに練習用となった曲名はYMOの「CUE」です。音楽演奏ソフトの PMD FMP MUAP MDX などに凝っている時期でもありました。MML入力はなかなか苦労しましたが、なれてしまえば確実に演奏してくれるので楽しかったです。

93年頃 NEC PC−9801BS2/U2486SX−33 メモリ3.6M

なにぃーーー486SX−33MHzの廉価マシン発売だとぉ!!!しかもパリ無しメモリも使えて、ファイルベイもあって2台のIDE-HDDを増設できる。この機種はバスクロック33MHzなので、将来もODPを刺しこめば延命できる。将来性を考えてBXを下取りに出して買い換えないといかん。というわけであっさり購入・・・あっさりでもないか。高かった(フリージアで約14万)ので、兄貴と共同で購入。もちろん兄貴の方がいっぱい出してくれました。感謝!

この機種変更により、さらに快適になりました。windows3.1も、ようやく実用的に動いてくれました。16色表示だけど。

ですが、あくまでメインはDOSです。

そのうち中古で安価なCPU「486DX2」が出回ってきたので、むりやりオーバードライブスロットへ差し込んで、あるピンを1カ所改造してオンボード486SXを殺して、66MHz駆動となりました。あまり知られていない技なので学校の友達のパソコンにも改造してあげたところ喜ばれました。そのうち、友達の友達のパソコンの改造依頼が来たり、俺の改造を前提として、33MHzや25MHzの廉価マシンの新機種を買う輩も増えてきました。 情報の流布に制限を掛けないのが自分のポリシーなので、やりかただけ教えて後はやってくれと言いましたが、やはり実績のある人にやってもらいたいと言われどうしたもんかと思いました。頼りにされるのはうれしいことです。

94年頃 NEC PC−9801NS20(ノート)386SX−12 HDD20メガ メモリ1.6M

知り合いから液晶が壊れた物を譲ってもらった物。液晶の開閉スイッチが壊れているだけでした。これをハンダで修正したら、アラまぁ直ってしまいました。相手さんに言いましたが「あげたんだからあげるよ」とのことでありがたく使わせていただきました。

その後、個人売買で40メガバイトのHDDを買い、換装し、通信端末専用マシンとして活躍してくれました。レジュームが付いていなくて、ノートの分際でいちいち最初から起動し直さなければならなかったのが不満点でした。速度的な不満が出始めたので(なにしろメインは486SX−33で、こっちは386SX−12です)思い切ってCx486SLC2をブチ込んでみます。QFPパッケージなのでハンダ付けは大変です。

CPU換装後の使用感は、ほぉぉぉぉぉ・・・ここまで変わる物か。感動!!!これで当分現役です。

95年頃 NEC PC−9821Bs/U7W486SX−33 HDD160メガ メモリ5.6M

高校時代の友人がアキハバラ昌平橋のエレパ閉鎖時に買ったものを譲り受けたモノです。シリアルナンバーが剥がされていましたが激安でした。価格は忘れましたがたしか15000円位だったと記憶しています。S村くんどーもありがとー。
96年頃 NEC PC−9801BX4/U2486DX2−66 メモリ1.6M

単に安かったという理由だけで、五反田に事務所を持つヤクザから1万円程度で買いました。世間では5万円位だったかと。あまり語れません。すげー怖かったとだけ書いておこう。
96年頃 NEC PC−9821Ld/350A(ノート)486SX−33 メモリ3.6M

ヒンジが取れかけのジャンク品を格安(相場15万、買値3万)で買いました。ヒンジは直しました。俺の腕が稼いだようなもんです。素晴らしいよ俺。って自分に酔うなバカ。この端末が、さいごまでパソコン通信端末として偉業をこなし、いまでも所有しています。さすがにもう使わないけど。
96年頃 自作AT機。ペンティアム75(新コア)を100で駆動。430FX。メモリ パリつき16M

ASUS TP4XEジャンク(キーボード制御チップ(AMIKEY−2)、FDDチップが使えなかったのを修理)

96年頃 自作AT機。ペンティアム90(旧コア)を100で駆動。Neptune。メモリ EDO16M

インテル製。

97年頃 自作AT機。ペンティアムプロ150を166で駆動。440FX。メモリ EDO96M

GIGAYTE GA686NX

98年9月

現在
自作AT機。Celeron300A@463MHzで駆動。440BX。メモリSDRAM96MB

往年の迷機 Abit BH6

2000年8月

現在
自作AT機。Celeron566を850MHz@1.8Vで駆動。440BXデュアル。メモリ384MB

GIGABYTE GA-6BXD

 HDDにDTLA-20GBとかU10-20GBとか 640MB-MOがナゼか2台とか 2台分のパーツをてんこ盛り。。。

本来は半同棲していた彼女宅で使ってた奴なんですが、いろいろあって別れて、数年後にまたくっ付いて、そして1年半後にこんどは円満に別れて、自宅に戻し、パーツが余る余る。。。デュアルマザーなのにシングルだし。もうハチャメチャ。

OSはwin2000。



いまはハイパースレッディングのP4を使っていますが、今更こんなところでマシン構成を語ったところで、そのへんに腐るほど参照できる、ありきたりの記事になってしまってつまらないので割愛。コレ以降は、書くのが面倒なので、しばらく更新しません。



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